NFTマーケットプレイス「問茶会」(Tou Chakai)とは(3)
(前回の続き)
茶会において「主客の直心の交わり」を実現するのは、昔も今も決して簡単なことではありません。
松江藩の大名・松平不昧(1751-1818)は、20歳のときに記した茶書『贅言』(むだごと)の中で、利休の予言どおり、本質が失われ作法や道具に偏重した当世の茶の湯を厳しく批判しています。そして、大名にとって茶の湯とは、単なる儀礼でも娯楽でもなく、自らの精神修養の一環であり、国や家臣を治める一助にもなる、と主張しました。20代の茶会の主な客層は家臣団でしたが、次第に他国の大名、高僧、そして豪商や茶道具屋といった町人など、茶の湯の本質を理解できる相手ならば地域や階層にこだわらず茶会に招き、交流を深めるようになりました。
同じく茶人として有名な彦根藩の大名・井伊直弼(1815-1860)も、20代前半で記した茶書『栂尾美地布三』(とがのおみちふみ)の中で、茶の湯が武士の精神修養として有益であることを強調しています。そして茶会とは、親しい者同士が世俗を離れて語り合う場であること、作法や道具にこだわらずあるがままにもてなすことを重視しました。また、晩年に記した『茶湯一会集』において、茶会における主客の交わりとは、一会ごとに「一期(一生)に一度のものと考えるべきである」(一期一会)と述べました。
厳格な身分制社会の頂点に身を置き、武士として生きる以外の選択肢がなかった大名自ら、そうした身分からの束縛、つまり世俗から自由になれる場を必要としていたこと、そしてお互いを一人の人間として敬い、語り合う場である茶会を重視していたことに新鮮な驚きを覚えます。
また、たとえ一時的に世俗から自由になれたとしても「人生は有限であり、過ぎた時間は二度と戻ってこない」という現実からは、誰しも逃れることができません。だからこそ、歴史に名を残した茶人たちは「この場、この時間、目の前の相手との心の交流」にかけがえのない価値を見出し、真剣勝負で茶会に臨んできたのだと感じました。
これまで3回にわたり、日本語の「茶会」の背景にある歴史をご紹介してまいりました。
当社は、過去の偉人たちが人生をかけて追求してきた主客の真剣勝負の場を、最新技術を用いて今の時代を共に生きる皆様にご提供したい、という思いを込め、来春ローンチするNFTマーケットプレイスに「問茶会」(Tou Chakai)と命名しました。
日本語の「問う」には、①質問する、②訪問する、の2つの意味がありますが、いずれも、行動者の主体性がその成果を左右すると言えます。当社は問茶会の名に恥じないよう、「アドバイザーと相談者の真剣勝負の場」のご提供を実現すべく、茶会の歴史と過去の偉人たちの精神に学び、システム開発に邁進してまいります。引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション
伝谷文晁筆(原図)、磐瀬玉岑(写)「雲州不昧公大崎別業真景」(部分)、1896年