能楽『石橋』と心の驕り(3)

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前回の続き)

獅子のモチーフは、古くから日本の美術的な意匠表現の一つとして用いられてきました。

奈良時代の正倉院の宝物の中には、シルクロードの西方に生息するライオンや、仏教思想の中で生まれた霊獣獅子のほか、それらが融合して図様化されたと考えられるものがあります。

また、鎌倉時代の絵巻『春日権現験記絵』からは、貴族の邸宅の襖絵に、百獣の王・獅子が百花の王・牡丹とセットで描かれていることをうかがい知ることができます。

能の演目『石橋』の後半部で、獅子は「乱序」と呼ばれる重厚華麗な前奏曲とともに、大輪の牡丹が飾られた舞台に登場します。通常は、白頭と赤頭の二頭の獅子で上演されることが多いです。

落ち着いて威厳のある白獅子と、きびきびと躍動的な赤獅子の舞のコントラストは非常に清々しく、昔から祝賀やおもてなしの席で演じられてきたことにも深くうなずけます。

途中、白獅子が赤獅子を崖から突き落とし、赤獅子が這い上がるようなしぐさを見せるシーンがあります。二頭の獅子は、親子又は師弟の関係にあるとされています。

それならば、獅子の舞は、これから人生の試練に立ち向かおうとする若い赤獅子と、それを厳しく温かく見守る年配の白獅子の振る舞いを表しているとも言えるのではないでしょうか。

そうした思いを込めて、日本の歴史上、最も有名な二頭の獅子の図案に少し手を加え、弊社のNFTマーケットプレイス「問茶会」(Tou Chakai)のキービジュアルに採用しました。

原作品が描かれたのは、「天下布武」の安土桃山時代です。天才絵師・狩野永徳が時の天下人のために描いた唐獅子は、勇壮美麗ながらも、お互いが威嚇し合っているようにも見えます。

なお、『石橋』の最古の上演記録は室町時代の中期(1465年)ですが、安土桃山時代にはすでに上演が途絶えていたと言われています。復曲されたのは、約150年以上続いた国内の戦乱が収束した徳川三代将軍の頃(1629年)でした。

戦争と平和の時代を幾度もくぐり抜けてきたこれら日本の伝統芸能や美術作品をヒントに、これからも、あるべき人間関係や社会秩序、そしてビジネスについて、皆様と一緒に模索してまいりたいと思います。

 

参考文献:
宮内庁三の丸尚蔵館『虎・獅子・ライオン-日本美術に見る勇猛美のイメージ』, 2010

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