権力と馬(2)-権威のしるし

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前回と今回の2回にわたり、「権力と馬」をテーマにお届けしています。
今回の舞台は、日本の朝廷です。

朝廷の権威のよりどころの一つは、伝統にのっとった儀式を、正しいかたちで絶やさず継承していくことでした。

外交儀礼、宮中行事、祭礼──
古代から中世にかけて、朝廷は重要な場面で、馬を用いてその権威を可視化してきました。

しかし15世紀以降、相次ぐ戦乱で都は荒廃。
朝廷の財政は困窮し、即位や譲位といった最重要の儀式すら滞るようになります。
──それは権威そのものの危機でした。

こうしたなか迎えたのが、1574(天正二)年、京都・上賀茂神社の競馬(くらべうま)。
馬は本来、朝廷が寄進した荘園から提供されます。

しかしこの年、神社が助力を求めたのは、五畿内で勢力を伸ばしていた織田信長(1534-1582)でした。
その構図は、時代の転換点を示していました。

その7年後──朝廷の要請のもと、大々的に挙行されたのが「京都御馬揃え」
太田牛一著『信長公記』には、次のように記されています。
―正親町天皇は勅使を通じ、「これほど面白い遊興はない。まことに満足である」と信長に賛辞を贈られた。
―貴賤を問わず、人々もまた、「天下泰平の御代」「生涯忘れがたい見物」だったと感じた。

そのわずか一年後、信長は本能寺の変で命を落とします。
「朝廷の完全な復興」―正親町天皇 (1517-1593)や誠仁親王(1552-1586)の願いは、生前には叶わなかったのかもしれません。

それでも、信長流の華やかな御馬揃えを楽しまれたその日だけは──
お二方の脳裏には、いにしえの朝廷に連なる馬の儀式の光景が、再びまばゆくよみがえっていたのかもしれません。

本編では、近しい時代に制作された多くの絵画や史料とともに、朝廷から見た「京都御馬揃え」を考察しています。また、春シリーズでは、「織田信長」視点での「権力と馬」について取り上げました。
一次史料を丁寧に読み解くよう努めています。ご興味のある方は、これらも合わせてご視聴いただけますと幸いです。

 

画像出典:(抜粋)源氏物語(車争)図屏風 右隻
17世紀、江戸時代前期、東京富士美術館所蔵

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