マンガの神様と少女たちの出会いの物語
存命中から「マンガの神様」と称された手塚治虫(1928-1989)は、病と闘いながら、死の直前までマンガを描き続けたとされています。
手塚先生の作品に影響を受けた若き読者の中から、優れたマンガ家が数多く誕生しました。
先日札幌市で開催された『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展では、少女マンガ界の巨匠・大和和紀、山岸凉子両先生とマンガの神様の出会いのエピソードがとりわけ印象的でした。
今から遡ること59年前のある冬の日、手塚先生が札幌のデパートのイベント会場でデッサンの実演及び講演をするという情報を入手した二人の少女は、それぞれ自分の作品を胸に超満員の会場に駆け付けます。
会場を後にするマンガの神様からずっと目を離さず、自ら声をかけた少女たちの勇気と、超多忙にもかかわらずその日の夜に少女たちの作品をレビューすることを快諾した神様の優しさが、山岸先生の手書きのマンガと両先生自らのお言葉で、生き生きと表現されていました。
マンガの神様から直接作品のレビューとフィードバックを受けた両先生は、緊張のあまりテーブルに供された紅茶にも手を付けることができなかったそうです。
しかしながら、そのときマンガの神様と交わした一言一言が、その後の両先生のデビューと才能の開花を大きく後押ししたのだということが、第三者である私にもひしひしと伝わってきました。
マンガのラストシーンには、「手塚治虫先生に会えたことはわたしの宝なのです」という山岸先生のメッセージが添えられていました。
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どうぞ末永く、厳しく温かく見守っていただけますと幸いです。
画像出典:Colbase
「厳島経巻摸本」、明治時代(19世紀)、東京国立博物館蔵