文化財 × 先端技術でできること(2)
(前回の続き)
国会図書館をはじめ、国内外の博物館、美術館などの文化施設では、古文書のデジタルアーカイブ化が鋭意進められています。そして、生成AIの自動翻訳やOCR(Optical Character Recognition:光学文字認識)といった最新技術により、私たちは言語の壁や時代の枠を超えて、先人たちが書き残した貴重な記録に容易にアクセスすることができます。
今回ご紹介する史料は、1698年にドイツ・アウグスブルクのイエズス会の神学校で上演された演劇用の脚本です。冒頭の写真はその脚本の表紙で、ラテン語とドイツ語で併記されています。
生成AIの翻訳によるタイトル名は「日本の皇帝・信長は、 宗教を軽蔑したために王国と生命を失った」。
脚本の最後には、織田信長や明智光秀などの登場人物名、出演した学生の氏名(人によっては貴族の称号も付記)や舞台演出を担当したメンバーの氏名、所属学部や学年なども丁寧に記載され、総勢70名ほどの大がかりな演劇であったことが分かります。
そして、表紙をめくった1ページ目の冒頭には、次のような主旨の引用文が記載されています。
「日本の皇帝・信長は来日した宣教師と日本の僧侶との宗論を通じて、キリスト教(カトリック)の真理を理解し大いに善意を示した。(1)しかしあまりの幸運が重なったため、彼は自らが神として崇められることを望んだ。この傲慢さに対する神の公正な罰により、信長は最も有力な家臣・明智光秀に裏切られ、(2)安土城で命を失った。そして安土城は灰燼に帰し、彼は煙とともに跡形もなく消え去った。コルネリウス・ハザルト著『日本教会史』第5巻より。」
2ページ目から始まる脚本は、この引用文に基づき構成・展開されていきます。
つまり、「欧州版・本能寺の変」ともいうべきこの脚本では、「信長が誰に殺されたか」よりも、キリスト教史観に基づき「(1)なぜ、(2)どこで殺されたか」について焦点が当てられていることが分かります。
客観的事実を重視する現代人の感覚では、(1)は首謀者の明智光秀から動機を聞かないと分からない(このため、本能寺の変は永遠に謎)、(2)は明らかに間違い(信長は本能寺で襲撃され、安土城は信長の死後、天主閣のみ焼失)だと認識します。また、信長の自己神格化については、日本の史料による裏付けが乏しく、信憑性が低いとされています。
しかしながら、イエズス会神父の著作や神学校での演劇脚本は教義の宣伝を目的とするため、ある程度の脚色が見られるのは半ば当然と言えます。
現代を生きる私たちは、少し角度を変えてみることで、よりグローバルな視点を身に付け、多様な歴史認識や価値観をより深く理解するきっかけを得ることができます。
例えば、本能寺の変から約100年後のドイツの神学校で、なぜ信長の死を題材にした演劇が上演されたのか。この脚本と、引用元の著者・ベルギーのイエズス会神父ハザルト(1617 – 1690)が参照していたイエズス会やオランダ東インド会社の関連資料との相違点は何か。同じく同時代の日本では、信長の死はどのように受け止められていたのか。これらの問いに対する答えを探求することは、歴史を学ぶだけでなく、政治、宗教、世界とのつながり、そして私たち自身の存在意義について深く考えるきっかけとなるでしょう。
生成AIとは、まさにこの探索と発見のプロセスをより豊かに、かつ効率的に進める上で、非常に頼もしいパートナーになると考えています。次回は来日経験のない欧州の画家たちが想像豊かに描いた日本のイラストもご紹介しながら、引き続き生成AI とともに17世紀の信長関連の史料について探索してまいりたいと思います。
画像出典:Münchener Digitalisierungs Zentrum (MDZ)
脚本タイトル(ドイツ語)「Nobunanga Kayser in Japon Wegen Verachtung der wahren Religion deß Reichs und Lebens beraubt」、1696年、ドイツ・バイエルン州立図書館所蔵