未来のためのデジタルアーカイブ(1)

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安土城は織田信長(1534-1582)の命により1576(天正4)年から築城され、本能寺の変の3年後、1585(天正13)年に廃城となった山城です。滋賀県では2019年(平成31)度から「幻の安土城」復元プロジェクトに取り組んでおり、弊社も微力ながら安土城関連資料の情報提供に努めております。

巨大な石垣や高層の天守など、当時の最高技術を駆使した画期的な外観と内装を有しており、実際に城を参観した宣教師ルイス・フロイス(1532-1597)は著書『日本史』において、「その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それらはヨーロッパのもっとも壮大な城に比肩しうるものである。」と述べています。

安土城が廃墟と化し、すでに400年以上の年月が経っています。懸命な発掘調査と研究が続けられていますが、わずかな城跡や資料を元に往時の姿を復元することは、決して容易ではありません。

その中で大きな手がかりとなるのは、「安土山図屏風」です。同『日本史』では、その屏風とは「信長が日本のもっとも優れた職人に作らせたもので、安土城と城下町を実物どおり寸分違わぬように描くことを命じた」とされています。

一旦人災・天災により失われてしまった文化財であっても、残されていた写真から復元できた代表的な事例としては、「法隆寺金堂壁画」や「花下遊楽図屏風」があります。従って、「実物どおり寸分違わぬ」とされる屏風又はその写真が発見された場合、安土城復元の実現可能性は飛躍的に高まることになります。

しかしながら、この屏風も「1585年に天正遣欧少年使節団からローマ教皇グレゴリウス13世(1502-1585)に献上された」という当時の記録を最後に、行方が分からなくなっています。バチカンの各機関及び国際的な研究ネットワークのご協力の下で探索活動がおこなわれていますが、こちらも手がかりとなる資料が絶対的に不足しているようです。

ところで、発見された屏風又はその写真を通じ安土城を復元することのメリットとは一体何でしょうか。弊社では、それは決して、特定の都道府県や産業界への経済的効果に留まるものではないと考えております。

安土城の築城から廃城まで、そして安土山図屏風の制作から献上までの経緯は、当時の国内外の情勢と密接に関わっています。私たちは復元された安土城を通じ、更にふみこんだ研究成果が期待できます。現代の国際社会を生きる上で、特に大航海時代における織豊政権と、それ以降の禁教令や鎖国といった重要なテーマについては、再学習する価値があると考えております。

次回は、重要な有形・無形資産の復元や取引履歴の管理を容易にする最新技術-弊社の事業の根幹であるデジタルアーカイブやブロックチェーンについても触れてまいります。引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

画像出典:
国宝「唐獅子図屏風」(右隻)、狩野永徳(「安土山図屏風」を描いた絵師と伝わる)筆、安土桃山時代(16世紀)、皇居三の丸尚蔵館蔵

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